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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1384号 判決

控訴人 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 織間三郎

被控訴人 茨城県

右代表者知事 竹内藤男

右訴訟代理人弁護士 八木下巽

右指定代理人 高橋照夫

〈ほか三名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金二〇〇万円およびこれに対する昭和四六年一二月二四日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

第二、当事者の主張

当事者の主張は、控訴人において、本件ボールけりは、遊戯療法として行なわれたものであり、控訴人において、不参加の自由はなかったうえ、本件加害行為は、海野看護婦が右手で控訴人の左腕上部をつかむというルール違反の行為によって起きたもので、控訴人の予想外のことであるから違法性は阻却されないと述べたほか、原判決の事実摘示と同一であるからこれを引用する。

第三、証拠≪省略≫

理由

一  当事者間に争いのない事実ならびに≪証拠省略≫を総合すれば、控訴人が受傷するに至るまでの経緯等は次のとおりであると認められる。

控訴人は、クッシング病に罹患し、昭和四三年一二月九日から中央病院に入院した。クッシング病とは、脳下垂体又は間脳部に異常があるため、副腎皮質からハイドロコーチゾンというホルモンが異常に出すぎる状態になる病気をいい、右ホルモンの異常により骨が弱くなる可能性がある。

控訴人は、昭和四五年七月一四日、右副腎摘除手術を受け、その後ホルモンの異常分泌という症状はなくなった。ただし、副腎を摘出してしまったので、ホルモンを補う補充治療が継続して行なわれていた。

控訴人は右手術後、脳幹部障害に伴う精神的不安定等の精神神経症的症状を呈したので、これの治療と社会復帰訓練のため、昭和四六年一〇月二日、友部病院に転院し、同病院の医師関忠盛の担当する第一病棟(合併症病棟)に入り、薬物療法、精神療法および遊戯療法などを受けていた。

昭和四六年一二月二三日午後二時ごろ、関医師や友部病院の右第一病棟勤務の看護婦海野(現姓神崎)昭子らが加わって、控訴人を含む五、六名位の入院患者に遊戯療法の一つとして同病院の運動場で運動をさせることになり(参加するかしないかは患者の自由であった)、同人らは、準備体操をした後バレーボールをし、それからボールけりを始めた。ボールけりには関医師は加わらず、海野が加わっていた。このボールけりは、特にルールの定めはなく、単にボールをけり合うだけのものであって、過激な運動といえるようなものではなかった。

右ボールけりにおいて控訴人がボールを追いかけて拾おうとした際、一緒に追いかけていた海野看護婦と控訴人とでボールの取り合いとなり、海野が右手で控訴人の左腕上部をつかんだはずみで海野が控訴人の上に重なるような形となってその場に両者とも転倒し、この際控訴人は左橈骨遠位端骨折等の傷害を受けた。ただし、この骨折は、前のめりや前方転倒で手をついたときに発生しやすい定型的な骨折であり、病的な骨折ではなかった。

二  そこで次に本件事故に関する関医師の過失の有無について検討する。

≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。

1  クッシング病のホルモン異常分泌という病状をコントロールして一年以上たてば、普通は正常の労働作業に服することができる程度にまで回復する。特に控訴人の場合には、当初は骨粗鬆症があったが年令が若いので、前記右副腎摘除手術後は回復に有利な状態にあった。このような理由から、中央病院で控訴人の治療に当った尾形悦郎医師は、控訴人が友部病院に転院する際に控訴人の骨が折れやすい状態にあるとは考えておらず、そのような注意を友部病院に対してすることもしなかった。

2  控訴人は、前記のとおり精神的不安定等の精神神経症的症状の治療と社会復帰訓練のために友部病院に転院したものであるが、控訴人においては、社会復帰した場合に、その能力からみて単純作業しかできないので、肉体労作に適応させる必要があったこと、一般的に安静にしていると骨が弱くなる可能性があること、本件事故当時、控訴人の退院は間近に迫っており、その後の就職先も決まっていたことなどの理由から、控訴人は本件事故当時積極的に運動をした方がよい状態にあった。

3  関医師は右2の理由で本件事故当日、控訴人が戸外で運動することを容認していたものである。関医師は、従前より、第一病棟は合併症病棟であるから、控訴人を含むそこの患者に対しては、過激な運動はさせないようにしており、患者の気分が悪ければ、戸外運動にも出させないようにしていた。しかし、控訴人が骨が折れやすい状態にあるとは考えていなかったので、本件ボールけり程度の運動をさせる場合に、看護婦に対して控訴人に対する関係で強度にわたることのないようにとの注意は特にしなかった。

4  控訴人は、本件事故当日、退院を間近に控え、その後の就職先も決定しており、精神能力ないし判断能力に特に欠けるところはなかったし、本件ボールけりについても、参加が強制されていた訳ではなく、控訴人の自由な意思で参加することができた。

以上の諸事実によれば、関医師が本件事故当日、控訴人に対してボールけりをさせたことは、遊戯療法による治療行為として適切であったというべきである。

又前記一で認定した本件事故当時の状況および控訴人の受傷の性質(前のめりや前方転倒で手をついたときに発生しやすい定型的な骨折で病的な骨折ではないこと)に照して、本件事故は、偶発的なものであって、関医師にとって予見し難いものというほかはない。

そうすると、本件事故に関し、控訴人主張のような関医師自身の過失および海野看護婦に対する指導監督上の過失は、とうていこれを認めることができない。

三  以上によれば、控訴人の本訴請求を認容することはできず、これを棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用につき、民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小山俊彦 裁判官 山田二郎 石井彦壽)

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